2005年9月10日(土)

「高陽院・遺跡発掘説明会」

中京区竹屋町通油小路西入る西竹屋町町

平安時代中期、関白藤原頼道が造営した邸宅
邸内には、寝殿造りと呼ばれる建物や、池をそなえた
庭園があったと、絵巻物で伝えられてます。
今回の説明会では、池の西南部分の発見・
邸宅の南側を通っていた、大炊御門大路の遺構、
(路面・北側溝・築地)が発見され説明されました。


高陽院は、現在の地図で、
北ー椹木町通・東ー西洞院通・南ー竹屋町通・西ー堀川通
に囲まれた敷地に在りました
平安時代の地図で、
高陽院に位置です。
東西ー250m、南北ー250mの広さでした。
高陽院の様子  「駒競行幸絵巻」  (和泉市久保惣記念美術館蔵)






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